南陽市市勢要覧

南陽市市勢要覧 page 17/20

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16史跡や石碑など、いにしえの面影を今に伝える名所が市内各所にあります。南陽市にある神社として全国に知られているのが、紀州、信州と並び、日本三熊野のひとつに挙げられる南陽市の熊野大社。本殿の裏側には3羽....

16史跡や石碑など、いにしえの面影を今に伝える名所が市内各所にあります。南陽市にある神社として全国に知られているのが、紀州、信州と並び、日本三熊野のひとつに挙げられる南陽市の熊野大社。本殿の裏側には3羽のウサギが隠し彫りされていて、3羽をすべて見つけると、お金に困らず、幸せになる、願い事がかなうという言い伝えがあり、近年パワースポットとしても注目され、全国からウサギを探しに参拝者が訪れています。また、昔話「鶴の恩返し」の伝説が伝わる鶴布山珍蔵寺には、鶴の毛織物が大切に保管されていたという言い伝えが残っているほか、「鶴の恩返し」の場面が浮き彫りにされた梵鐘もあるなど、遠方からも観光客が訪れます。全長約96mと、山形県内で1番、東北でも6番目に大きい「稲荷森古墳」は、今から約1600年前の古墳時代前期につくられた前方後円墳で、発掘調査では当時の暮らしを知る貴重な資料が数多く見つかっています。郷土を代表する偉人で、昭和の初頭に大蔵大臣や日本銀行総裁を歴任した結城豊太郎が収集した蔵書や文献を収蔵する「結城豊太郎記念館」もあります。今から900年以上昔の寛治7年(1093年)に、奥州統一を目指した源義家の弟・義綱が、草刈八幡のお告げによって発見したとされているのが赤湯温泉です。江戸時代には「殿様の御湯」と呼ばれ、上杉家代々の湯治場として栄えたほか、近隣の農民や病気の人の湯治場としても繁栄し、置賜地域の名湯として知られるようになりました。その後、伊達政宗の父・輝宗公や「奥の細道」の俳聖・松尾芭蕉も足を運んだと伝えられ、現在は全国から多くの湯治客が訪れる温泉地となっています。赤湯温泉は他の地域の温泉街と異なり、旅館が住宅や商店と一体化した街並みを形成し、周辺には公衆浴場も点在しています。メインストリートとなる赤湯温泉通りには、平成20年に赤湯温泉観光センター「ゆーなびからころ館」がオープン。無料の足湯が楽しめるほか、公衆浴場も併設されています。無色透明で弱アルカリ塩泉の赤湯温泉は、美肌効果があるといわれ、他にも神経痛やリウマチなど30を越える効能があるといわれています。ほかにも市内を一望できる小高い丘の上に、ジャグジーやジェットバス、大露天風呂などがあるハイジアパーク南陽があります。温泉全国に誇れるいで湯の里日本三熊野の一つ熊野大社情緒豊かな旅館が多い赤湯温泉「ゆーなびからころ館」の足湯は観光客からも人気です。置賜盆地を一望する「ハイジアパーク南陽」郷土の偉人の資料が揃った「結城豊太郎記念館」3羽のウサギを探しに全国から参拝者が訪れます。南陽市の魅力史跡悠久の時を感じさせる場所